しんきろう旋風をGoogle検索してみた。
134件がヒット。

※蜃気楼旋風の場合で検索すると少し増えます。
結構認知されてないんだな~。
ははは~。
魚津とかはこれを盛り上げようとするんだから
大変だなぁ。
実は、しんきろう旋風ってのは
今から50年前の第40回夏の甲子園で
初出場で無名の魚津高校が
強豪大阪の浪華商業、東京の明治、桐生を破り
優勝候補の徳島商業と延長引き分け再試合を繰り広げたってもの。
まぁ、結局負けたんだけどね。
普段野球なんかに興味のない
おじいちゃん、おばあちゃんまで魅了されてしまったらしい。
魚津なんかは当時テレビがないから
わざわざ山手に住む人はテレビをみるために
バスに乗って町に出てきたりするし
町は試合を見てる間通りに誰もいなくなったり
都市機能が麻痺したとか。
浪商の勝利のときなんかは
朝日新聞がヘリを用意して号外を出すし
生地の町では1000人もの人が行列してお祭り騒ぎ。
帰ってきた高校生は
オープンカーに乗せられてパレード。
すさまじい人々が訪れ彼らを歓迎したそうな。
当時の主将の盛本さんと少しお話したことがあるんだけど
帰りの電車では、小矢部を過ぎたあたりから
駅や線路で高校生に手を振る人たちが集まってきたという。
どうやら、50年前はすごい騒ぎだったんだろうな~。
ちなみに、再試合となった徳島商業の投手は板東英二。
日立 世界ふしぎ発見!で有名なあの人。
魚津と徳島商の戦いは18回3時間38分にもおよび
スコアボードに並んだのは36個の「ゼロ」
すさまじい投手戦が繰り広げられたんだって。
なお、この18回再試合というルールはこの試合の4ヶ月前
板東英二が作ったものだったりする。
春季四国大会で、板東が
高知商高戦で16回、さらに翌々日の高松商高戦で25回を投げぬいた(※)ため
この事態を重くみた高野連はこの年の夏の甲子園から
延長18回を終えて引き分けの場合は
その時点で試合を終了し、後日再試合を行うことを決定したそうな。
まさか、その決定がその年の甲子園で適用されるとは
誰も思ってなかったんだろうな。
※この延長戦の際、あまりの悲壮な投げ合いに、
球審が感極まり、途中から声を出せなくなり、動作のみでコール
「無声延長戦」と呼ばれたらしい(笑)
さらに言及すると
延長18回で決着がつかず、翌日再試合が決まった日の夜
魚津の投手、村椿は宿舎に帰るやいなや、
食事も摂らず、すぐ横になり眠ってしまったのに対し、
板東は宿舎に戻った後、
しっかり食事をし、風呂に入った上で寝たという。
ガッツのある人だなぁ(笑)
再試合では3対1で負けちゃったそうだけど
そのガッツに魚津は勝てなかったらしい。
えーと、何を書きたいのかさっぱりわからなくなりましたが
そんなこんなで今年で50年目のしんきろう旋風でした。