有害鳥獣と狩猟などのことについて
こんなコメントをいただいた。
抜粋して記する。
「人間の幸せばかり考えずに
生き物を永久に残すように知恵を働かせてください。
すぐに殺すとはなんと単純な結論でしょうか」
僕自身
この方のおっしゃる気持ちが非常に分かる。
確かに、そうなのだと思う。
無意味に何モノかの命を奪ってはいけない。
日本では、ご飯を食べる時に
「いただきます」と合掌する慣わしがあるけれど
この慣わしは忘れてはいけないものだと思う。
全てのものには命がある。
そんなの命をもらうのだから
「いただきます」と合掌し
感謝することは非常に大切なことだ。
僕らは生まれてこの方
毎日、何モノかの命をもらっている
動物や野菜など・・・。
そのことはあまりに当たり前で
なかなか気がつくこともない。
でも、生き続けるために
僕らは命を奪わなければならない。
それも、毎日だ。
そのことを忘れてはいけない。
生きていることは結構辛い。
人も動物もそれは同じで
命は大切なものだと思う。
話を戻そう。
狩猟の場合は
撃ち殺した動物を必ずしも食べるわけではない。
農作物や人間への被害を防ぐために撃ち殺す。
そういう意味では
むやみに殺しているという印象を受けるかもしれない。
でも、実際は違う
農家にとっては死活問題なのだ。
自分たちが育てた作物があらされ
生きていくことが困難になることさえあるのだ。
自分たちが生きるために有害鳥獣を殺すことも
時に必要になってくる。
生きるということは
かなり複雑だ。
動物たちの保護も重要。
しかし、人間が生きていくことも重要。
一方だけの視点で見れば正しいかもしれないが
一方からの視点で見ると違うことも見えてくる。
そういえば、
魚津市の有害鳥獣捕獲隊のことが
全国的な記事になって
多くの人に受け入れられる一方で
もしかしたら、むやみに動物たちの命が
奪われるのではないだろうかと
危惧する声も生まれる。
世の中は単純じゃない。
物事は、多面的で
時には見えない一面もがあるのだと
改めて気がつく。
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たまたま、魚津市の西布施の奥にある地区
御影にいったんだが、
農家の方から話を聞くことができた。
「昔はこの辺に猿なんていなかったんだけどね。
最近よく出るようになったよ。
被害が出るから、村の柿の木はすべて切り取ってしまったんだ。
昔は田んぼの近くに柿がたくさんあったんだけどね。
まったくないだろう?」
おじちゃんが言うように
確かに、柿の木が見当たらない。
田んぼに限らず、家の庭に植えてあった柿も刈ったという。
「家の近くに猿が来ても困るからね」
僕にはかつてこの地がどんなものだったのか知らない。
ただ、そこに住む人たちなりに努力はしている。
けれど、それだけじゃ足りないものなのかもしれない。
おじちゃんはまだ続けた。
「あそこの家では、猿の被害を受けてね。
作っても作っても食べられてしまう。
まだ、若ければ何かできたのかもしれないが
もう歳だからね。
畑で作物を育てても意味がないから、
畑を放棄してしまったんだ」
と、家を指差してくれた。
確かに、昔畑だったのだろう土地が見えた。
今は草が生い茂っているのだが。
動物たちの命の大切さもわかる。
けど、農家の人たちの切実な声を聞く必要もあるのかもしれない。
世の中は複雑だ。

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